第18話:お気に入りの本を語る(中)

お気に入りというか、高校生の頃に読んで、当時すごく衝撃を受けて、いまだにその感動というか、読んだ時のイメージを保ち続けている本があります。

それは夢野久作氏の「ドグラ・マグラ」

今でこそ入手しやすくなり、電子書籍でも手軽に読めるようになりましたが、80年代前半ごろは大きな書店に行かねば置いてなかった記憶あります。

角川映画をきっかけに、近代探偵小説が見直されブームに乗って再発売されてた頃の話です。

 

日本の推理小説・異端文学で「三大奇書」にもあげられる「ドグラ・マグラ」。

その世界観もさることながら、とにかく全体の構成がすんごくよくできている!と当時思ったものです。

イントロの「胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親 の心がわかって おそろしいのか」という巻頭歌から、精神病院へ舞台は変わり、主人公が途中何度も入れ替わるという話で。

確かにとっても読みにくいっちゃ読みにくいです。

 

ちなみに後の二冊「黒死館殺人事件」はよくわかんないドイツ語風味のルビが読みにくくしてるだけで、お話は割に単純。(ただ最後まで読むと「法水くん、なんで出てきたの?」感がありますが)

「虚無への供物」は戦後に書かれた小説だけあって、この中では一番読みやすいかな。現在の本格ミステリー作家に影響与えてそうです。

 

私の場合は子どもの頃住んでいた家の雰囲気と「ドグラ・マグラ」の世界観がどことなく重なる部分があって受け入れやすかったのかなと思ったり。←それもどうかと思いますが;;

この本を読んだ後、物語の全体構成をとっても気にするようになったなーと思います。

ひいては物事の事象を俯瞰してみるような意識づけされたかなと。これがキャリアカウンセリングにつながっているような感覚があります。

 

この本を読んで以来「全体の構成」という観点で「これはすごい!」って思ったのはマルシア・ガルケス氏の「百年の孤独」くらいかなあ。

スティーブン・キング氏のダークタワーシリーズを最後まで読んで「ドグラ・マグラ」がいかに良くできた小説なのか再認識することにもなりました。

(や、途中までは異世界てんこもりで面白かったのですが、ラストシーンが「ドグラ・マグラ」みたいな構成だったので)

 

「物事を見る視点」「多角的にものを見る」を意識するようになったのは間違いなくこの本の出会いから。

そう考えると「本との出会い」「人との出会い」に通じるものがあるかもですね。

 

余談ですが、「ドグラ・マグラ」映画化された時の舞台挨拶も見に行きました。正木博士を桂枝雀さんが演じてましたが、今思い返してもハマり役やと思います(笑)。

 

・・・つづく。

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第19話:お気に入りの本を語る(後)

都会から田舎に嫁に来て思ったのは、音楽と本が入手できない!って事でした。

今ならAmazonでポチって買えるんですが、当時は携帯電話も普及しておらず、車の免許はあるもののペーパードライバーでどこも行けず状態。

で。3年後に町立図書館がオープンした時はホンマに嬉しくて、毎週ほど大量に本を借りて読んでました。

その時に凝ってたのがファンタジーを中心とした児童書なんですね。

 

そこで出会った本、ジクリト・ホイク作「月の狩人~アマゾンでみた私だけの夢」が未だに深く印象に残っています。

本の表紙はアンリ・ルソーのジャングルの絵で、深い緑色が目に入ります。

この本もラテンアメリカ独特のイメージ、「アヤママ鳥の予言」「ジャガーの刻印」やら出てきますし。

作者がドイツ人であることから、「ニーベルングの指輪」のような世界観も織り交ざったような。

 

どーしてこーゆー世界観に惹かれるのかな~~と思ったら、私の母の趣味などが影響してるかもなあと感じます。

母は『トリオ・ロス・パンチョス』というラテンミュージックトリオのファンで、彼らがメキシコのグループであることからメキシコ大好きな人なんですね。

なのでメキシコ展やらメキシコ物産展などが百貨店で開催されては行く、マヤ・アステカ・インカ文明の展示会なども行く、みたいな小学生時代過ごしてるんですよね。

特に深緑・・・翡翠の色に神秘的な魅力を感じるようになったのはこの影響でしょう。

 

そーゆー訳ではないんですが、北陸新幹線が開通して「糸魚川」という地名を知り、そこに「ヒスイ海岸」やら「ヒスイ渓」やらあるのが気になる私です。

そそ、同時期に読んだ荻原規子さんの『空色勾玉』も好きですねえ。

私は八百万の神といいますか、道祖神が出てくるようなお話に心惹かれるようです。はい。

 

・・・つづく。

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第20話:ライフストーリー・レビュー

さて「自分の物語」を語ることで「自分らしさ」を実感できる、そのためには支援者と共に物語を紡ぎだす・・・な話題が続きましたが。

もうちょっとハードルが低く、楽しく取り組める方法ってないのかな~とも思っていました。

そこへ、JCDAイベントの帰りに参加者の方から「いまこんな本を読んでいるんだけど」と紹介されたのが「ライフストーリー・レビュー入門」でした。

 

著者の高松氏によると

「カウンセリングに行くほど切羽詰まっていないけれど、昔の体験でもやもやと気になっていたり、放っておいてるものがある」

「この気持ちに向き合わなくちゃなあと思った時、このことを整理しなくちゃ次に進めないなあと思った時、誰かに聴き手をお願いして、改めて語ってみてください」

「語ったお話を皆さんでディスカッションすることによって語り手に気づきが生まれ、聴き手側も自分の記憶が掘り起こされ、対話のコミュニティが生まれます」

ざっくり、このような紹介が書いてありました。

 

イメージとしては「治療(キュア)」や「癒し(セラピー)」までも必要ないけれど、時には自分の過去の出来事を見つめなおし「いまの自分」から見た意味づけをする。

そうすることによって「自分らしさ」を実感する、といった感じでしょうか。

私が今取り組んでいる「Read For Action読書会」にも通じる考え方やな~。ナラティブ・キャリアカウンセリングよりもとっつきやすいかな~。と感じました。

 

本では「留学経験を語る」「働き方について考える」「音楽を用いてライフストーリーを語る」といったものが紹介されていました。

「留学経験を語る」は職場(大学)で機会があったらやってみるといろいろな効果が期待できそうです。

「働き方について考える」は私たちのようなキャリアカウンセラーが参加することによって効果が出るように感じました。

 

それ以上に私のハートにビビッと来たのが「音楽を用いてライフストーリーを語る」

ご存知の方も多いのですが、我が家はダンナさんの趣味でありとあらゆる音源や楽器が集められています。このリソースが活かせるのでは!と思った次第。

そんな訳で次回からは音楽を使って語っていきたいと思います。

 

・・・つづく。

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第21話:音楽の思い出をストーリーで語る(前)

「ライフストーリー・レビュー入門」著者の高松氏によると、決して言語だけにフォーカスして「語り」をしなくてもええとのこと。

「歌を歌ったり、音楽を聴くことによって、普段想い出すことのない古い記憶が蘇ることがよくある」

「音楽を通じて人と人との心がつながり、過去の記憶が新たな形で現在の人間関係に位置づけられる」とあります。

なんとなくですが、音楽がその人の記憶・・・時間軸を見出し、金の糸でつながったマイクロナラティブなのかなと。

ゆーなれば過去から現在の薄れていた記憶のインデックス的な役割をしてるのかなと感じました。

 

音楽を使ったワークの場合

①自分にとって大切な曲を1曲選ぶ

②その曲についての思い(想い出)を語る

③実際に参加者皆で歌ってみる(自分が歌えなくても皆さんが歌ってくれるので大丈夫、もしくは演奏する、レコードやCDをかけて聴く)

 

で、大事なのは③の皆で歌うというところだそうで

「同じ時代を生きてきた人がいれば、また別の想い出をその曲に重ねる事ができる」

「その音楽に込められた個人の思いをみんなで共有することで、何かが伝わり、理解し理解された感覚が伝わる」

とあり、音楽を通じてライフストーリーの一部がさらに豊かに語られることになるそうです。

 

・・・と、この解説を読んでまして「私、こーゆーことやってたやん!」と思いました(笑)

 

滋賀県大津市にある「ええラジオ」さんで「Rockな雑談会!」というイベントを企画したんですね。

この「ええラジオ」、FM局で長年お仕事されてきた豊田一美(豊パパ)さんが開設、Ustreamを使って「見えるラジオ」として番組制作・配信をされています。

で、元喫茶店だったスペースをスタジオにしていた時に、広いスペースあるし何かできひんかなーということで、いろいろなイベントやったんですよね。

もともとFM時代の豊パパ担当番組リスナーであった私と、我が家の多種多様な音源在庫をご存知な豊パパとで「好きなレコードやCDやビデオ持ち寄って音楽好きな人たちと語り合いたいね」と言い出し。

ビールとおつまみを囲んでレコードかけてしゃべるイベントやってたんですよ。

 

でも、こーやって振り返ると、まさに「音楽を使ったライフストーリー・レビュー」ですやんか!

参加された皆さん、レコードの中の1曲をかけては「この曲はねー」「このアルバムはねー」と、その音楽に出会った当時の自分の事語りまくってはったんですよね。

それは「この曲の事知ってる人たち」「このアーティストの事知ってる人たち」という前提があるからこそ思い切り語れる、みたいな(笑)

現場の人、豊パパさんがいてくれたからこそ実現できた企画やと思われます。はい。

 

なので、キャリアカウンセラー目線でイベント復活させたいと思う私です。音源持ち歩くの面倒やし、自宅でできひんかなー。ダンナに嫌がられそうやなー。

 

・・・つづく。

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第22話:音楽の思い出をストーリーで語る(中)

音楽の思い出というか、音楽がつないだご縁となるとスルーできないのがうちのダンナ様の存在ですねえ(笑)

「ものすごく音楽について語れる相手」が、連れ合いになったって感じですね。

そのかわり「こんだけ語れる相手は今後出てこーへんやろう」な確信は出会った当初からありましたね。

 

もともとは当時神奈川にいた友人が「知り合いにインディーズバンドのデモテープを集めている人がいる」との話で。

そーいやデザイン版下の下請け会社に勤めていた時に、大阪のアーティストを扱った半分同人誌みたいな雑誌を作ってたなあと。

その雑誌の付録にソノシートついてたし、珍しいもんやし、あげるわ~って送ってあげたのが最初でした。

それが1988年(昭和63年)やったかなあ。ちょうどバンドブームが盛り上がる時やってんね。

でも、あげたソノシートって「少年ナイフ」がテレサ・テンの楽曲をカヴァーする「愛人」。コレが1984年に出されたものやったです。

今やったらジャパニーズガールズバンドの草分けってご存知の方も多いけれど、当時はほぼ知ってる人いなかったと思われます。

 

でも今思えば「この人やったらめっちゃ喜んでくれはる」チョイスで、実際にすごいレア音源だったらしく再発されていません。

そーゆーとこから自分たちの好きな曲について語る機会が多いのかも知れませんね。夫婦円満の秘訣やね。

 

しかし、これをきっかけに大量の音源と楽器に囲まれる生活をすることになるとは想像しませんでしたねえ(汗)

しかも、都会の「場末の港町」から山裾の田舎に来るとはなあ・・・。

 

そんな若かった私もとうとうアラフィフに突入しました。子どもさん達の手も離れ、学費の重石もちょいと軽くなった春。

先日、ダンナさまへバンドのライブチケットをプレゼントいたしました。

アルコール飲料が必須のダンナさんの送迎も兼ねて自分も行くんですが・・・オールスタンディングのライブで足腰が持つか心配です(涙)

 

・・・つづく。

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第23話:音楽の思い出をストーリーで語る(後)

音楽で想い出を語ることは「時間」をとても意識することになるなーと感じます。

当時流行っていた楽曲を聴くと、その当時の自分の生活や感じたこと、出会ったことなどが記憶の片隅から取り出される感じとか。

その楽曲にリアルタイムで出会っていなくても、自分が出会った時期とその時の事がリンクし、今の自分から見た意味づけがされる、みたいなとか。

人生を道に例えて可視化したとしたら、ところどころに印があって、音楽をきっかけに印の中身を取り出せる、みたいなイメージです。

 

音楽と時間という切り口で私が最初に思い出されるのは、高校生の時に行ったイベントです。

たぶん、秋くらいやったかな?友人の弟さんがビートルズ・シネ・クラブ(現:ビートルズ・クラブ)に入っていて、ビートルズ結成20周年記念で「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」が上映されるんで観に行かへん?ゆーて誘ってくれはったんです。

イベントでは20周年記念グッズをもらい、映画も楽しめました。

で、ふと「結成20周年ちゅーことは解散して12年やねんなあ」と思い、当時の自分の年齢と記憶がフィードバックしました。

この時の体験が私にとって「干支一回り」の時間間隔を意識した瞬間でした。

また「1982年」という年に印をつけた感じがしています。

 

もう一つはゼネコンで設計補助の仕事に行ってた時に、アルバイトの学生さんの通う大学の大学祭に行ったときのことです。

大学祭自体も楽しかったのですが、誘ってくれた学生さんの軽音部の出し物がメンバー全員で歌う「パッシュ!」

バンドブームの頃、北海道のバンド「ザ・ミンクス」のこの曲がブレイクしていたのです。

歌詞の中に「平成元年~パーーーッシュ!」と叫ぶところがあり、この曲とともに「1989年」当時が思い出されます。

 

あなたにも音楽と時間が交差する想い出ってありますか?

 

・・・つづく

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第24話:「転機」は人生のターニングポイント

キャリアカウンセリングでは「シュロスバーグ理論」を学びます。

これは「転機の理論」とも言われ、人がそれぞれの人生で出会う「転機」の乗り越え方を体系化したものです。

 

ざっくり紹介しますと・・・

◆転機への対処3つのステップ

1.変化を見定める

2.リソースを点検する

3.受け止める

◆転機の種類

イベント(実際に予測したorしていなかった出来事)

ノンイベント(起きてほしいと期待して、実際には起きなかった出来事)

◆転機がもたらす変化

・役割が変化する

・人間関係が変化する

・日常生活が変化する

・自己概念(自分や社会に対する考え方)が変化する

◆転機を乗り越えるリソースを点検する(4-Sモデル)

状況(SITUATION)

自己(SELF)

支援(SUPPOURTS)

戦略(STRATEGIES)

 

ってな感じの内容になっています。キャリアそのものより、ある特定の「点」にフォーカスしてるんですね。

要は転機について客観的視点を持って受け止め、それを乗り越える行動に移すためのステップと言えるでしょう。

 

では、次回から私の転機につながったひと言をご紹介していきます。

 

・・・つづく。

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第25話:私にとって「転機」になったひと言(前)

私の中学生時代を振り返ると結構大変だったなあと思います。

中学に入って、父がガンを患い、1年の入院の後、帰らぬ人となりました。

それまでなんの疑いもなく地元の進学校に行って、大学にも行けると思っていたので喪失感が半端なかったですね。

父が亡くなって経済的に立ち行かなくなり、塾も辞め、勉強も手につかなくなりました。

というか、受験勉強をする意味や、勉強した後に目指す道が見えなくなったんですね。

 

そんでも母や叔父の勧めでとりあえず私学の進学校を受験したんですが、勉強してないから不合格。

自宅から一番近い高校を受験する予定だったのですが、私学落ちたことでランクを下げざるを得ない状態でした。

この私学不合格でもいろいろあったんですが・・・。その時の担任の先生が不合格だった生徒に贈った言葉があります。

 

「こけたら、立ちなはれ」

 

経営者の方はご存知の方も多いと思いますが、三洋電機副社長であった後藤清一さんの言葉です。

当時の「PHP」に掲載されていた記事からの引用だったと思います。

私のクラスは学年でも問題児とヤンキーの巣窟のようなクラスでしたが、先生が一人一人向き合い、指導されたおかげで全員進学できたのです。

私の場合も先生が将来の可能性の事を考えて、通学に負担にならない高校を勧められ、受験し、進学することができました。

今でも先生の事を思い出すと感謝しかありません。

 

先生のその後ですが、私たちの卒業と同時に先生も結婚され、東京に新居を構え旅立ちました。

その年の5月に新婚旅行に向かう先生夫妻を伊丹空港に見送りに行きました。

その年の夏に中学校に用事があり、友人と一緒に職員室を訪ねて行ったら、先生が入院していることを知りました。

そして翌年の2月に同級生から先生の訃報が知らされました。先生は胃がんだったのです。享年28歳。若すぎます。

高校の授業を途中抜けて、先生のお葬式に参列しました。

 

岸和田城が見える、ご主人の実家から旅立たれていきました・・・。

 

・・・つづく。

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第26話:私にとって「転機」になったひと言(中)

私がキャリアカウンセラーという仕事があるのを知ったのは2005年の事。

そして、2007年1月のCDA養成講座に通い、その年の秋にCDA資格を取得することが出来ました。

当時は6回の講座で、関西では大阪でしか受講できませんでした。

さらに言えば、滋賀県でキャリアカウンセラー資格やCDA資格を持ってる方も周りにはいませんでした。

田舎住まいの私は、すぐに仕事としてキャリアカウンセリングを活かすことが出来ず、パソコンインストラクターの仕事を続けていました。

 

でも、本当のところは「キャリアカウンセラーだけでやっていく」自信がなかったんですよね。

 

2012年の初め頃、ひょんなことから私が受講したCDA養成講座の担当講師でもあった、理想経営の山本先生を滋賀に呼んでセミナーを開催してもらえることになりました。

 

私が受講した頃も山本先生の講座を受けられる確率はめちゃめちゃ低くて。

一緒に受講したメンバーの中に「次回、山本先生が担当されるコースを事前に調べて申し込んだ」という方もおられ。

実際に毎回ロールプレイングは先生自ら手本を見せて行ってくださったので「あーゆー風に関わらんとあかんのか・・・」と見て学ぶ講座となっていました。

 

今思えば集客とか講座の目的とかは人に任せっぱなしで反省しきりの講座だったのですが。

それでも都市部で開催されているセミナーを滋賀県で受けられる喜びはひとしおでした。

(この時の体験が、やがて自分が企画して滋賀県内でセミナーやイベントを開催することにつながってるやろな)

 

セミナーの最後にちょろっと山本先生に自分の活動をどうしたらいいのか、みたいな話をしたときです。

当時の名刺にはパソコンインストラクターとキャリアカウンセラー両方が記載されていたのですが。

 

「野口さん、肩書はひとつでいいんですよ」

 

とおっしゃいました。まさに当時の迷う自分の心の中を見透かされた感じです。

と、同時に自分の生きる道には常に何かを選んでいかねばならない一度に二つは選べない事を悟り。

すぐに仕事にならないかも知れないけれど、自分はキャリアカウンセラーとして生きていこうと決めました。

 

そして今・・・仕事としても学生さんの就職相談を担当し、活動としてもいろいろな講座を企画し開催しています。

この時に初めて出会った社労士の吉竹さんと一緒にジョブ・カード勉強会を行っています。ご縁ですねえ(笑)

 

・・・つづく。

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