第14話:子どもの頃の記憶を語る(前)

さて、私にとってはキャリアカウンセリングに出会ったことが人生を大きく変え、自分らしく生きる実感を得られることとなりました。

それを語るにはどっからいきましょーかと考えましたが、難しいですね。

 

サビカス先生のおっしゃる①ロールモデルって、とっさに思いつかへんなー。たぶんキャリアカウンセラー活動始めてからの方がメンターな方がいる感じです。

②いつも見る雑誌・テレビ番組も、私は普段見ぃーひんのです。もしかしたら現代は「ネット情報」が追加されてもいいかもね。

④お気に入りの格言やモットー、これってよほど語彙が豊富やないと思いつかへんことないですかねー。自分が勉強不足なんやね。

 

な訳で、子どもの頃の記憶を語るのとお気に入りの本を語るのとでいってみよーと思います。

(本当は先に4つを語ってから、子どもの頃の記憶を語るんですが、今回は逆にしてみます)

 

幼少の頃、仲間とステンレス流し台を作って売る町工場を経営していた父。それが一番古い「はたらく人」の姿の記憶かなあ。

大阪の長居公園の近くだったよな。陽気に口笛吹きながらトンカチ叩いて仕上げた流し台を大型トラックに運んでいた姿が思い出されます。

ギャンブル好きやったので、休みの日は住之江の競艇場に行くか、パチンコ行くかな人やってんけどね。

 

それとともに思い出すのは、その町工場の敷地で飼っていた「軍鶏(しゃも)」

10羽くらいゲージに入れて飼ってました、確か。愛玩用でも食用でもなく、「闘鶏用」ですがな(汗)。

にわとりさんに餌あげる~~ゆーてキャベツとかゲージで差し出しては手をつつかれたなーってことも思い出した(笑)

結婚して滋賀にやってきて「近江しゃも」って食用になることを初めて知った私です。闘鶏専用のにわとりやと信じてたから~~。

ってか闘鶏用の軍鶏が身近にいる環境って(汗)

 

いやいや、思い出しかけると私が生まれた時に既に鬼籍に入っていた祖父も趣味は「日本刀」(汗)

九州出身の父の楽しみが「狩猟」。地元にいるころから狩猟免許を持ってて、大阪来てからもイノシシハントに行ってたらしいんですね。(大汗)

 

もしかしたら「何をやるにも楽しむ」ってのは父の影響のような気がしてきました(笑)

今思えば、早くに亡くなった父ともっと話してたらよかったなーと思います。

 

幼少の頃の記憶には見出しをつける、とサビカス先生はおっしゃっていますが、あえてつけるとしたら「何事があっても動じない」「何事があっても受けとめる」みたいな感じでしょうか。

 

・・・つづく。