第15話:子どもの頃の記憶を語る(中)

私は「先入観で相手をみない」をモットーとし、自戒を込めてよく言葉に出しています。

実際にはいろいろな情報に振り回されている自分がいるので、言葉にして客観的な視点を持つようにしようと気を持ち直す、みたいな(笑)

 

ではそんな事を考えるようになったのはなんでやろ?と昔の記憶をずーっと振り返ってました。

すると「近所の任侠なおっちゃん」に行き当たるんですね。

 

私の生家は戦前は繁華街だったところで、私の生まれたころは「場末の港町」とちょいと寂れてきておりました。

そんでも飲み屋など水商売な店が立ち並んでおりました。で、私の自宅の斜め向かいには任侠な方々の事務所がございました。

ここのおっちゃんが子どもが好きでねえ(笑)

よく近所の子ども集めてキャッチボールしたり、ケーキふるまってくれたりしてました。

私の人生初「生クリームのケーキ」体験は、暴力団事務所で食べたイチゴのケーキやという(笑)

夏は麻雀卓を路上に出して、舎弟と上半身裸で刺青丸出しで麻雀してはったので、横を通って小学校通っていた状態です。

 

中学生の頃、自宅の門になぜか「マムシ」が巻き付いていて、祖母と二人でパニくったことがあります。

ってか、都会でなんで毒蛇が出てくるねん!家に入れへんやん!って感じ。

で、お巡りさんと保健所の職員さんに連絡して、どやってマムシを捕まえるか、あーだこーだと言い合っていたときに。

この任侠なおっちゃんがやってきて「ちょっと待っとってー」ゆーて、事務所から銛(爆)持ってきはりました。

で、マムシの頭を一突きにして。「うちでマムシ酒にするんで持って帰るわー」ゆーて銛に刺したまま持ち帰らはりました。

 

遠くの親類より近くの他人、ではないですが、ホンマにお世話になってたなーと思います。

商売やってた祖母も、盆と正月に事務所にビールを1ケース届けてはりました。こんな環境でもそれなりに安心して暮らせていたんなあと思います。

 

以来、出来る限り相手の事をよく知ろうってのと、自分の事は相手に選んでもらおうというスタンスになってきたなと思います。

 

余談ですが、関西で学生支援の草分けとして知られるポンタさんこと本田勝裕さんの『ニッポン全国長屋計画』を知った時に、この情景が思い出された私です。

長屋な雰囲気の町ってええな。

 

・・・つづく。